2014年12月31日「感 謝」

 2014年も本日で終わります。僕の独断と偏見にみちたつぶやきにお付き合いいただいた方々に心より感謝いたします。今年はずっと忙しくなかなか続けてメッセージを書くことができませんでした。

 今年最も衝撃だった事・・・。いろいろありますが僕はやしきたかじんさんの死とその後、百田さんが執筆した「殉愛」に対して様々な方面から事実と違う内容が暴露されたかじんさんが最後に愛した女性がイタリア人と重婚状態で彼に近づいた事。これは僕の勝手な想像ですが「2年我慢すれば莫大な遺産が転がり込む・・。その間だけ彼好みの清純で控えめな女を演じれば良い。」などと割り切ってたかじんさんの最期に寄り添ったのではないかなぁ〜。と想像してしまいます・・・。まぁ、浪速のモテモテ男で女性をずいぶんもてあそんだ彼ですから最後にそういう人生のどんでん返しがあったのかもしれませんねぇ。それいしてもさくらという女性もたいしたたまですねぇ・・・。

 デザイナーとして今年は余り表にでない開発を数社と行いました。商品として世に出るのは来年以降になります。それでもCREERが販売店さんの努力に寄るところが大きいですが好調な売れ行きを示してくれました。CREERは僕がはじめてMacbookを購入して嬉しくてなめるように裏表見回してこんな人の目に付かない部分まできちんとデザインしている・・・。と衝撃を受けました。ノートパソコンの寿命なんてせいぜい2〜3年です。OSがバージョンアップしたりしてすぐに使えなく無ってしまう言わば消耗品です・・・。それなのにこんなに細部まで徹底してデザインする姿勢に頭を殴られた思いをしました。家具をデザインしてきてやはりコストパフォーマンスは大切な要素でメーカーは値頃感を出すために見えないところは手を抜きます・・・。外部デザイナーとしてはメーカーのそういう姿勢にまで立ち入る事は出来ないので歯がゆい思いをしてきました。しかし、CREERは最初小さな特注を生業としている工房のためにデザインしたので「デザイナーとして細部にまで手を抜かない、どんなに価格が上がってしまっても完璧なクオリティを目指す、決して妥協はしない。」という思いで取り組みました。結果、価格が高いものになってしまいお客様に理解していただけるまでに10年の歳月がかかりました。そして10年を過ぎた頃から少しずつ売れる様になってきて今日の好調な販売につながりました。妥協しないで造形やクオリティを追求する事が時間はかかりますが定番として永く売れて行く事につながると勉強になりました。

 来年からはもっともっと自分に嘘をつかない、買っていただける方々に誠実な姿勢で臨みたいと思って居ます。

 来年もよろしくお願いいたします。

2014年12月29日「学ぶ事・・・。」

 TV東京の番組で「Youは何しに日本へ」という番組があります。そこでデンマークから高校を卒業した若者二人が進路をきめるまでの間、日本を旅行にきてガイドブックを目をつぶってぱらぱらさせて指を指して当たったところへ行くという旅行をしたのを密着したものがありました。様々な土地で優しい日本人と出会い日本を満喫してデンマークへ帰った二人を訪ねて行った回がありました。二人の若者はまだ進路を決めずにアルバイトなどをして再度旅行に行くための資金を集めたり、バンドを組んでミニコンサートを開いたり全く青春を謳歌して居る様子でした。そして彼らの両親と会って話を聞いたときに両親は「若いときにしかできない事があるので世界を見て歩いたりアルバイトをしたりそれから大学に行っても良いし急ぐ事はないと思います。私たちも20代の頃は世界を放浪して回りました。」と語って居ました。

 ん〜〜〜〜〜、寛容で子供が自ら学び成長する事を促す物わかりの良い教育評論家なら大喝采して理想的な社会だ!と絶賛する事でしょう・・・。僕もデンマークへ旅行した時に現地の学生とふれあう機会があったのですが、まさにそんな雰囲気でした。しかし、自分の人生を振り返ったり、大きな仕事をした人を人生を振り返ると遊んでいる時間など無かった・・・。たとえば木工職人を目指すなら高校や大学を出ることは邪魔でしかありません。僕も周囲にいる腕の良い職人さんは中卒でこの道に入った人の習得した技術と高校、大学を出てから職人を目指した人では明らかにレベルが違います。これはたぶん15〜6歳の頃が何でも吸収するのに最適な年齢だからかも知れません・・・。木工職人だけでなく何でも自分が一生の仕事と決めた道があるなら一刻も早く修行を始めるのがその道を極めるために必要な事だと思います。とてもとても青春を謳歌して20代を自分探しの時間に充てるなどもったいなくてしょうが無いと僕は思います。僕も大学を卒業して比較的順調にデザイナーとしてのキャリアを積んできたつもりですがまだまだ時間が足りない、ようやく自分のデザインを認められ自由自在に造形と取り組む事ができるようになってきたというのにもう僕は56歳です・・・。もっともっと良い仕事をしたい。そのためにはもっともっと時間が欲しい・・・。こんなに無駄な時間を過ごしてこなかったのにです・・・・。もし、僕が20代を自分探しの旅などしていたら大切な最も自分を磨く事のできる時間を失って居たでしょう・・・・。

 僕はデンマークのあり方も恐らく間違ってはいないと思います。しかし、デンマークからは今後世界を変えるだけの仕事をする人間は恐らく出てこないでしょう・・・。日本が学んだモダン家具デザインはキラ星の様に輝いていた50年代に活躍したフィンユールやハンスウェグナー、モーゲンセン、アルネヤコブセン、ポールケアハン、ナンナディツエルなどのデザイナーたちであり、その後のデンマークのデザイナーからは何も学ぶものはありません・・・。僕はこの理想的な自由教育が原因では無いかと思えてなりません・・・。

 ちなみに日本のあらゆる職人、それも何十年もその仕事に携わりもう極めたと思える様な職人ほど、まだまだ、人生一生修行ですと答えます。だから日本の職人は世界一、そしてそういう職人が作り上げるものはどんな世界でも超一流なんだと僕は思います。

 道を極めたいと思うならふらふらせずにまっすぐにその道に飛び込む事、それが一番重要な事だと思います。

2014年12月27日「気がつけばあと4日・・」

 2014年もあと4日で終わろうとしています。今年はいろいろな出来事がありました。ずっと忙しくてメッセージの更新を頻繁にはできませんでした。思えばソチオリンピックもブラジルワールドカップもことしだったのですね。もう遠い昔のように感じてしまいます。

 高倉健さんが亡くなられと事が報じられたのも先月でした。年齢を聞いて母と同い年だったことがわかりました。83歳であれだけ矍鑠としておられた事は日々の節制など努力をされていたからでしょう、見事に高倉健を演じきった人生だったと思います。日本人が好む寡黙で我慢強く責任感があり、心優しく腕っ節も強い・・・。絵に描いた様な日本男児像を演じきった・・・。名優と人は言うけれど、ごめんなさい僕は役者としての高倉健さんは名優とは思いませんでした。これは森光子さんと共通する思いですが、80歳を過ぎた老人がどう無理しても十九、二十歳の若者を演じる事はできない。「放浪記」の2000回公演をTVで見ましたが体力がもう追いつかず衣装替えで舞台から支えられて降りてきた森光子さんの姿はもう実年齢の89歳の老婆でしか有りませんでした。観客は89歳の老婆が演じる若作りの演技をどうして褒めちぎるのだろうと不思議でなりませんでした。主役を自らが認める若い女優に譲り、自らは89歳の老婆でしか演じられない配役をつくり主役を食うぐらいの懐の深さを見せてほしかった・・・。高倉健さんにしても「あなたへ」が遺作となってしまいましたが、僕にはこの映画のどこが良いのかわからなかった・・・。80歳の高倉健が定年を迎えた刑務所の指導員を演じていましたが僕にはやはり80歳の老人にしか見えませんでした。妻役の田中裕子とはどう見ても孫とおじいさんにしか見えない。どんなに演技を工夫しようが許容範囲を超えた年齢を偽る芝居など無理な話で残念ながら日本人が高倉健さんが高倉健以外を演じる事を望まなかったからあんなみっともない映画を遺作にしてしまったのですね・・・。結局、名優とは役に応じて人格を変え、姿形を変え、配役を演じ起きる技術を持つ人を名優と言うのであって僕は残ながら高倉健さんは本当に名優だったのかというと疑問符が残ります。名優、名優・・・・?そうだ有るときは日本の母親を演じ、有るときはガバイばあちゃんを演じ変幻自在に演じる名優がいました。泉ピン子さん・・・。森光子や吉永小百合に彼女のまねはできないだろうと思います。ああいう人が僕は名優と思います。

 また悪態をついてしまいました。ごめんなさい。でも、いちクリエイターとしての率直な思いです。

 僕は任侠映画など見た事はないので、この正月には時間ができればちょうどBSの放送を録画しておいたものがあるので見てみようと思います。このお正月は健さんに浸ってみます。

2014年12月24日「もらい泣き・・・」

 先週の日曜日に「ビフォーアフター」を見てもらい泣きしてしまいました。プロのデザイナーとしてあの番組の全てお任せで、できあがってからはじめてオーナーが変身した家を見て感動の涙をながす・・・。なんて言うやり方はTVショーとしてはああなってしまうのだろうけれどやっぱりいけないやり方だとか、家具なども含めてデザインしているところを見てはああいうやり方ではすぐに壊れて使い物にならないとか日本でしか手に入らない金具をフランスの物件に使ってはいけない!とかいろいろ目くじらを立てて見てしまいますが先々週と先週の2回に分けて放送された高知の山奥の物件は改築を希望するオーナー姉弟の境遇とその姉弟を我が子のように育ててきた今は無き叔父夫婦との歴史を背景にしてとても心が締め付けられる思いがしました。物件はぼろぼろで家の主だった叔父夫婦もすでに他界して今は引き取って育ててもらった3姉弟の長女が老人介護施設で住み込みに近い状況で働く傍ら、時々帰ってきて過ごす程度ということで本当は壊して更地にしたほうが経済的には良いのでしょうが実の子のように3姉弟を育ててくれた叔父夫婦との思い出を残したいということで100万円という低予算での難しい物件に挑んだ過程を拝見しました。自治体の補助金や解体する学校の備品を払い下げしてもらったり、工事もプロには最小限の範囲で依頼してなるべく親戚家族や孫の友人などが手伝うことで工賃を浮かせてそれでも45万ほどオーバーして完成しました。

 100万円という予算に「もっとどうにかならないのか?」などと思う人ももちろん居るでしょうが、70歳を目前にした長女が老人福祉施設で働き得るお金など知れている金額でしょう、その中から切り詰めてようやく捻出した費用である事は容易にわかります。払い下げの備品を手入れして改造して作った蛇口から水が出ることに驚き喜ぶ姉妹の姿、親に捨てられ養護施設に行かなければならない時に手をさしのべてくれた叔父夫婦の元へ来た時の3人の写真を見てこの写真しか無いんだね。と語る弟の涙・・・。親に捨てられて7歳の長女が弟妹の手をつないでいる写真にこの人たちの人生がそれは厳しい物だったのだろうと思いました。そして完成した家の内部を見るたびに驚きと喜びの声を上げ、涙する姿にすっかりもらい泣きしてしまいました。

 世の中では「儲けて何が悪い」などと公然と言い放つ強突く張りや、プロ野球でたかだか10勝くらいしかしないくせに何億円も受け取る思い上がった若い選手などこれ見よがしに金のネックレスをして試合に臨み、高級外車に、高級時計・・・。そんな奴らに140万円あまりで中古の備品を使って精一杯知恵と愛を込めて改築した家の価値などわかるまい・・・。そんな事を思いました。どんなにお金があろうがちやほやされようがあの完成した家に涙を流して喜ぶ人たちの喜びの深さを決してわからないだろうと思いました。お金がある事だけが幸せではないなぁとつくづく考えさせられました。知恵は無尽蔵の宝だ!お金をかけないでも夢を生み出す事のできるデザイナーという仕事はとてもすばらしいと改めて思いました。

2014年12月16日「なんだろね」

 いつもいつも選挙が終わるたびに怒りがこみ上げてきます。マスコミの偏った報道、普段は一般の人たちを見下しているくせに選挙になったら土下座までする候補者たち・・・。どうしてマスコミは与党批判ばかりするのだろう?

 今回の選挙で嘘つき民主党は何も変わっていないのに少し議席を回復しました・・・。信じられない・・・。選挙民はどこまで馬鹿か?僕は忘れない、自民党が自らこけて民主党にやらせてみようという民衆の声が広がり、僕ももちろん民主党の語るマニフェストを信じ、良い政府が誕生すると思っていたら・・・。民主党が最初にやったこと、小沢一郎に地方からの陳情窓口を集約するという発表・・・ん?なにこれ?陳情を聞いて金を出しそうな先を選別するためでねぇの?そして八ッ場ダムの工事中止・・・。一見無駄な公共事業を見直す象徴見えるけれど9割がた終わっている工事を差し止めして混乱してまた再開。児童手当の支給範囲を広げなんと外国人が自国に子供を残してきても支給の対象にして中国人が大挙押し寄せて大問題に・・。高校授業料無償化!ばかでねぇの?中卒で社会に出て立派に働いている人から税金とって親の金でのうのうと高校行っている子供に与える?なんだそりゃ?在日韓国人に参政権を与えるようにしたいとか、アホか、参政権を欲しいなら帰化して日本国籍になれば済むことで日本に長年住みながら日本を恨み続け、国籍を変えない在日外国人に参政権なんてありえない。そんな国がどこにあるというのか?小沢が国会議員引き連れて中国詣で、胡錦濤と並んで記念写真を一人一人撮っている姿は何なんだ!!事業仕分けだなんだかんだ二位じゃいけないの?反論する人材がいない弱いところばかりせめて事業をやめさせようとしたのは民主党だ!沖縄基地移転、自民党が時間をかけて説得してようやくこぎつけた移転計画をぶち壊して未だに解決する見込みがない・・・。原発事故の報道や対応の遅れ、震災の時の復興大臣の出迎えがねぇという訳のわからない恫喝。民主党員で大臣などなれないと思っていたところに大臣になって舞い上がったんだね〜。震災復興で激務の宮城県知事に大臣をお迎えするのが道理だろうと言った姿を僕は忘れない・・・数かぎりない民主党政権の過ちに国民が怒りNOを突きつけてからあいつらは何も変わっていないのに・・・。馬鹿だね日本国民は・・。本来なら民主党を消滅させる選挙であるべきだった・・・。

 今回の選挙で鈴木宗男の長女が民主党から立候補して比例区1位で当選しました。あれ?鈴木宗男を悪のデパートと批難した秘書費用を詐欺師て一度やめた辻元清美って民主党で当選したんじゃない?同じ民主党だね。主義主張の前に民主党はたんなる数合わせの為の烏合の衆というところは変わっていない・・・。どうして民主党が議席を増やしたの?理解できない・・・・。

 僕は右でも左でもありません。現実をきちんと見極め良心にしたがって国民の為に政を行うのが正しい政治とかと考えます。減税、社会保障を手厚くなどとなんの財源の根拠もなく耳障りの良い言葉だけ並べる党も信じられない・・・。

 結局、安部政権に期待するしかない。それが現実だと思います。

2014年12月8日「わぁ〜」

 仕事を時々ご一緒させていただいているコピーライターの友人のお母様が今年突然亡くなられ、大変傷心の日々を過ごしておられたので何か励ませないかと先日慰労会と称して我が事務所で食事会をしました。彼女と彼女の仕事仲間のイラストレーターの方と3人でしばし楽しい時を過ごしました。

 慰労会をしようと話した時はどこか美味しい店でも探してと思っていましたがFacebookに時々日曜日の母の夕食のために「握り寿司」を作った画像を載せたことがありまして、一度食べてみたいとコメントいただいていたのを思い出しなかなか母以外の人に手料理を振舞うことはないので良い機会と我が事務所で「握り寿司」と手料理を用意することにしました。

  せっかく「おもてなし」するのでやはりただ食べるだけでは感動もないと料理を最初から大皿に盛り付けて置いておく事はやめて「重箱」に料理を入れて蓋を開けた時、一段一段重箱を外して行くたびに料理の姿が見えるという演出を思いつきました。幸い数年前に漆芸作品に凝った時があり新品の本漆の重箱を買うのは無理でしたがオークションで中古の重箱を買って持っていたのでその品を使うことにしました。

 お客様が来た時開口一番「お正月のよう」という言葉が出てきましたが、重箱を一つ一つ外して料理の姿が見えてくるたびに「わぁ〜」という声が上がり、『してやったり』予想通り場が盛り上がりました・・・・。お客様たちになぜ料理を入れるのに御重にしたか伝えるとその通り良い演出だと評価していただきました。

 重箱は多くの場合、蓋を開け、箱を外して行くたびに歓声が上がるものです。多分重箱の製作に職人たちが経験と積み重ねてきた技術の全てを注いで作り上げてきた迫力が重箱に詰める料理を作る人に重箱に負けない料理を詰めなくてはという思いにさせるからではないでしょうか・・・・。

 オークションで購入した古い重箱を入れてある木箱には何年何月誰々が購入と誇らしげに記入してあります。今も昔も漆器の高額な重箱を購入するのは家族の一大事業だったのかもしれません・・・・。恥ずかしいことに僕は日本の古くからある生活道具の価値をあまりに身近にあるがゆえに全く気付かずにきてしまいました。重箱よりは中の汁などが溢れて来ないタッパーのほうが便利で良いと思ったり、小さいもの大きいものどんな形のものも包み込むことのできる風呂敷をおじいさんやおばあさんが持つものと思っていたり本当に恥ずかしい限りです。今はもう日本の古くからの生活道具に魅せられています。

 デザイナーとして日本人の繊細なDNAを内に秘めて美しく機能的な家具や生活道具を作って行ければと思います。

2014年11月24日「殉愛というけれど・・・」

 今年亡くなったやしきたかじんさんと癌が発覚して亡くなるまでの2年あまり一緒に過ごし婚姻関係を結んだ32歳年下の女性との日々を詳しく綴った本が出版される前夜、TVのバラエティ番組「金スマ」で筆者の百田尚樹氏が出演して再現VTRも交えてやしきたかじんさんと妻のさくらさんが過ごした時間が濃密で純粋な時間であった事を切々と綴っていました。田舎者ですぐに人を信用してしまう僕もご多分にもれずすっかり信用していろいろな事を考えてしまいました。その時点で思ったのは浪速のもて男、やしきたかじんにはたぶん沢山の彼女が存在してその中には長年つきあう女性もいたことでしょう・・・。それなのにFacebookで知り合った彼女と濃密な恋愛関係に陥り、癌という大病と闘う闘病生活の支えてとして彼女を選んだ事はたかじんの方から見るとごく自然なことだったかもしれないけれどさくらさん側からすると本当に其れが必然なのだろうかとすこし違和感を感じました。お金持ちで、歌がうまいからころりとやられたのかなぁ?なんて思って居ました。そして、「殉愛」の中で一貫して言われているたかじんへの無償の愛、自分が突発性難聴という病気に冒され治療しなければ聴力を失ってしまうというのに今自分が治療のため入院してたかじんさんから離れると彼は耐えられないからと治療を拒み、左耳の聴力を失ったそうです。

 TVの内容を100%信用して思った事は、たかじんは本当の愛だの恋だのやっぱすきやねんなんて歌で歌っているくせに案外自分勝手な本当の愛など語る事のできる人間ではないと思いました。もし、本当に愛しているなら、たかだか難聴の治療でしばらく会えないくらい耐えるはず・・・。そして、32歳もの年齢差のある女性に自分が死んだ後どんな人生が待ち受けているか考えると「濃密な時間」よりも距離を置いてフェイドアウトして行くのが本当の男では無かろうか・・・?戦争の時に多くの若者が女も知らずに唯々自分の親兄弟、そして日本を守るために戦争にかり出されて死んで行ったその理由に、自分は戦争で死ぬ運命だから愛する彼女がこの後良い男性と知り合い新しい家庭を築いてゆけるために自分は彼女を無垢のままにしておいてあげたいと別れを選んだからでしょう。其れが日本男児の真の愛という物だと思います。しかし、たかじんさんは自分が死に行く恐怖と闘う事を一人では耐えきれず、若い最後に気に入った女性を身近に置いて死の恐怖から逃れていた・・・。なんと自分勝手なTVで見せる豪快な男のイメージとは裏腹なちっさい男なんだろうと思いました。総じて、何が殉愛だ・・・。という感想でした。

 ところがそれからしばらくして出てくるは出てくるは妻さくらさんの疑惑・・・。さくらさんはどうやら自分を犠牲にしてたかじんを看取ったという事ではないようです・・・。ちょうどたかじんを看病していた時期にイタリア人男性と婚姻関係にありたかじんと結婚した時は重婚の疑いがあった・・・。たかじんの直筆のメモと言われて本にも載せられていたメモの文字がたかじんの筆跡では無い・・・。ん〜〜〜〜いろいろネット上で告げられている疑惑はさくらさんが以前書いて居たTwitterが出てきたり、そこに仲むつまじいイタリア人の夫との写真など単なる根拠の無いバッシングと一笑に付す事ができないないようでした。なんとなく「さくら」という女性が一枚上手のような感じですね。もうすぐ死ぬとわかっている大金持ちの老人と死ぬまでの数年一緒に過ごせば彼の莫大な財産が手に入るとなればそういうたぐいの女性なら最後の恋人を演じるのはそれほど難しい事では無いのかもしれません。

 「殉愛」が発刊された週のたかじんのそこまで言って委員会の最後に司会の辛坊治郎さんが「この本を読んでだれしも自分は妻に死に際にこんなに看病してもらえるだろうか?とおもったのではないでしょうか?と語っていましたが僕もそう思いました。自分は独り身なので看病してもらえるはずもなくなんだか重たい物が心にのしかかってきました・・・。が結局真実が少しずつ見えてくると「やっぱりなぁ〜。そんなわけ無いよ。やっぱり金だよ金」なんて思いました。

 はてさて真実はどうなんでしょう?そういえばあの佐村河内の嘘ドキュメンタリーをNHKよりも早く最初に報じたのは金スマでしたなぁ〜。

2014年11月7日「凜として・・・」

 NHKの番組で「ファミリーヒストリー」というのを放送しています。いつも心打たれるのは昭和の戦前生まれの普通の人たちのまじめでひたむきな生き方です。前回の放送ではお笑い芸人の宮迫博之さんの家族の歴史、特に彼のご両親の人生について語られていました。その中で宮迫さんのお父様が若い頃に二度までも人命救助をしていたこと、最初の子供が川で溺れているところを助けた時は名も告げずその場を立ち去り自分の中ではたいした事をしたつもりも無くこの番組で触れられて新聞にその子供の両親が感謝の投稿していた事を知ってはじめて感謝されていたことを知ったり、台風の大雨で洪水になり民家に取り残された高齢の女性を救うために体に縄を縛り洪水の中へ飛び込んで行きその女性を救った事も「そういえばそんな事もあったなぁ」と特別な事をしたというおごった言葉は一切ありませんでした。なんてかっこいいんだろう・・・・。お母さんの方も早くに父親を亡くし、母は自分を置いて大阪の男の元へ出て行ってしまって、立った一人で自分の人生をたくましく切り開いてきた人でした。お父さんの言葉の中に「損得勘定で物事に望んではいけない。」という物がありましたがまさに人命救助する姿は損得勘定とは無縁の行動と言えるでしょう・・・。

 一生懸命働いて家族を養い、周囲の人たちのために努力を重ねてきたご両親が最後に言った言葉が「芸能人だから自分は特別だなどと思って欲しくない。そういうのは私たちは嫌やねぇ。いつも謙虚でいて欲しい。」涙が出てきました。宮迫さんのご両親の様な凜とした大人が沢山この国には確かに存在しました。残念な事に僕の同世代は「儲けて何が悪い。」と公然と言い放ったやつで有り、小室哲哉のようなくずやろうであり、デザインを平気でパクるスターデザイナ-などです。情けない・・・・。昭和30年代高度経済成長はとんだ卑怯者の成功者を生んでしまったのですね・・・。せめて僕は損得勘定だけで動くような人間にはならないように戒めとしたいと思って居ます。

 宮迫さんのご両親や戦前生まれの方々の凜とした生き方を自分の目標にしたいとつくづく思いました・・・。

 ありがとうございました・・・。

2014年10月24日「改めてパクリを断罪す!」

 上の写真の左側が女性家具デザイナーで最も成功を収めたデンマーク人女性:ナンナ・ディッエルさんが1952年にデザインした椅子です。そして右側が今をときめくスターデザイナー深澤直人がマルニ木工から2014年の新作として発表したソファです。あまりにも卑劣なパクリに僕は深澤直人という才能を認めて居ましたがもう彼をデザイナーとしては認めない事にしました。いや、人として彼の行為を許すことはできません。無名の田舎デザイナーの僕が何を言おうと世間は取り合わないので敬愛する先輩デザイナー川崎和男さんにこの事実についてご意見を求めましたところ、正義感の強い川崎さんも大変怒っておられました。そしてFacebookに投稿されて多くの著名人の賛同もいただけましたがそこで終わり・・・。結局、意匠権がもう存在していない。デザイナーのナンナさんは他界されていて声を上げる人も居ない・・・。という事だそうです・・・。

 確かに1952年のデザインされた椅子ですから意匠権はもう存在して居ないかもしれません。法的な権利を主張するならば泥棒に等しい深澤の行為も断罪する事はできないのかもしれません。しかし、今や日本のスターデザイナー深澤直人を世界中の若いデザイナー、デザイナーを目指して勉強している若者たちが見ている事を忘れてはいけない。

 どんな言い訳をしようと先人が苦労を重ねてまとめ上げた造形を盗み、わずかな時間で自分の造形とまとめて発表する事が法的には罪にならなくても若者に与える影響は計り知れない重罪です・・・。

 盗作したデザインの自分のソファに得意そうに腰かけている深澤直人の写真を見て反吐がでます。この写真が掲載されている記事に彼のこのソファのデザインストーリーが書かれて居ましたが、ナンナさんの事は一切触れていない。自分とマルニの社長が直々に話し合ってまとめたと自慢話だけ。少しでもナンナさんの元々のデザインに触れていたらまだ許すことはできましたが・・・・。

 中国のパクリ専門会社でさえ元々の作者の名前をちゃんと記載して意匠権が切れたプロダクトを「ジェネリック家具」として製造している旨を伝えています。

 家具デザイナーとして感じる事は深澤直人にしろ奥山清行にしろプロダクトデザイナーもしくはインダストリアルデザイナーが海外などで少し話題になり名前が売れると日本に帰り家具デザインの依頼を受けてデザイン活動をする状況が多い様に思います。ブラックボックスにカバーを掛ける様なインダストリアルデザイナーの仕事をしてきた輩に毎日生活の中で使われる生活道具としての家具を本気でデザインしている状況をほとんど見た事がありません・・・。人間工学を学んで居ない、構造と強度、使い勝手がお互いに干渉しあい成り立って行く家具のデザインを無視して「かっこいい」とか「他に無い」とか本来必要な機能を無視して話題作りだけのすぐに消えて行く物ばかりでうんざりしています。

 手前味噌ですが無名でもこうして30年以上家具デザインを中心に活動をしてきてもちろん全て作品が成功した訳ではなりませんが僕がデザインした多くの作品が10年20年と続けて今も生産されています。僕がデザインに込める思いは使用する人の生活に寄り添い時空を超えて使い続けてもらえる物にする事です。深澤や奥山のようにNHKで取り上げられて話題になり売れっ子になって行く事もありませんが、過剰に主張せず構造や強度を充足してさりげなく蛯名の造形がにおう物ですからTVやマスコミには刺激が少なく気にもとめられませんが知る人ぞ知る物として存在し続ければ僕はそれで十分です。そして後進や若い家具デザイナーを目指す人々に胸を張って自分のデザインと生き方を参考にしてもらえるようにパクリは絶対にしない様に心がけています。

 ナンナ・ディッエルさんは1990年から旭川で3年に一度行われている国際家具デザインコンペの第一回目に金賞を受賞され旭川に来られました。当時僕はインテリアセンター(現CONDE HOUSE)に勤務して居ましたので会社主催のレセプションパーティに出席された時にお会いしてご挨拶させていただいた記憶があります。また、出張でデンマークへ行った際に旅行ツアーのメンバーにご自宅の見学を許してくださって僕もその中の一人として見学させていただきました。コペンハーゲンの町中にあり地下が家具の試作などをする工房で若いアシスタントが仕事をしていました。上階は仕事場とご自宅を兼用されてなかなか素敵な環境でした。そんな思いでがあるので特に彼女の作品を日本人デザイナーそれも今最も売れて居る深澤直人が盗作した事は慚愧に堪えません・・・・。

 せめて、ナンナへのオマージュとか、ナンナの造形を自分なりに再構築して見た。といえばまだましだったかもしれませんが・・・(僕は許しませんけどね)

 そしてこの深澤直人はGマークの審査員を自らしていてなんとこの盗作ソファにGマークを与えました・・・。Gマークの生みの親の剣持勇先生や亀倉雄策先生があの世できっとカンカンに怒っている事でしょう・・・。

2014年10月11日「香港の憂鬱・・。」

 民主選挙を要求して香港の学生が立ち上がって久しくなります。抗議運動当初は多くの市民も加わりこの勢いではもしかしたら民主選挙が可能になるかも・・。と思った人も多いかと思います。僕はむしろ天安門広場の時のような惨事が起きるのでは無いかと心配していました。中国共産党に市民として正当な権利を要求する事は所詮無理な話です・・・。もし、民主選挙を許してしまえば共産党幹部が独占している既得権益を失う。民主選挙を4000年の歴史の中でただの一度も行ったの事の無い中国に民主主義を唱える方が無理な話だと僕は思います・・・・。

 今回、そうか、中国共産党は武力を持って制圧する方法では無く、息のかかった親共産党の市民を動員する方法をとったのか・・・。と思いました。TVから伝えられる映像では民主選挙を要求する学生たちに対して日々の仕事ができずに死活問題だとする市民が反学生運動を展開していました。そうか、必ずしも民主主義を香港の市民全てが望んで居るわけではない、むしろそんな事はどうでも良い自分たちの日々の生活の糧を得る為の仕事を妨害される方が迷惑だという大陸から移住してきた市民が沢山いるということを露呈されました。残念ですが香港の学生運動はこのまま表面に出ない形で中国共産党に制圧されるのでしょう・・・。これが中国という国の現実です。

 日本の憲法9条にノーベル賞を!などと馬鹿なことを言っているグループが日本に存在します。何が世界に誇れる平和憲法だ!現実を見ることなく理想論ばかり、いや自分の言葉に酔っているだけの奴らが憲法9条を祭り上げています。国境を隣り合わせに持ち幾多の侵略行為をお互いに繰り返してようやく現在の安定した国境線を築いたヨーロッパ諸国は日本の憲法9条を奇異の目で見ているのが本当の現実です。そして日本の憲法9条に賛成する人たちはそれに良って恩恵を受ける人たち、言い換えれば力によって現状を変えようとしている国々です。恐らく日本の憲法9条にノーベル賞をなどと言っている人の後には中国がお金を与えて運動を後押しさせているはずです。世界の中の外交戦略という物は表面に出ない策略がうごめきあらゆる手段を講じて日本が憲法9条を堅持する様に手を尽くして居るのです。平和憲法万歳と脳天気に喜んで居る平和ぼけ日本人こそ目を覚ましなさい!!

 iPhone6が発売になったときに今まで何のトラブルも無く整然と販売をマニアは待って居ましたが今年それに異変が生じました。列への横入り、購入ができないとわかると騒ぎ出す人間などが現れ騒然となった様子をTVで見ました。どうして今年に限りこんな自体が・・・?と不思議に思ったらSIMフリーのiPhone6を中国人が母国へ持ち帰り高額で転売するのが目的で販売待ちの列に横入りはするは、変えないとわかると騒ぎ出すはで問題を起こした様です。基本的に中国人は自分さえ良ければ他人にどんなに迷惑がかかろうが平気な国民です。残ながら中国国内でまかり通るブラックルールを平然とよその国にきてもやってしまうそんな民族なんです・・・。 

 今回の香港の民主選挙要求運動を見て悲しくなりました。恐らく中国は変わらない。変わる事を中国人は望んで居ない。たまたま90年間にわたり自由主義圏のイギリスの統治を受けていた香港だから民主選挙を学生が要求しましたが、中国本土では起こらないでしょうねぇ〜。経済の困窮による暴動は起こるかもしれませんが、其れにより中国共産党が政府の座を追われても、違う勢力が現れ、既得権益を確立して汚職にまみれた政府を作るだけで本質は変わらないでしょう・・・・。今回の香港の学生運動を見てつくづく思いました。

 中国はいったいどこに行くのだろう・・・・。

2014年10月9日「奇しくも中村・・・。」

 プロ野球横浜DNAベイスターズの中村紀洋内野手が自ら望んで自由契約?本当は戦力外での自由契約になりました。中村紀洋といえば自己中、思い上がり、自分を長嶋選手クラスの天才と思い込んでいるどーしようもない勘違い選手です。一番びっくりするのはその言動からチームを首になるたびに助け船を出してくださった恩人のチームに入るときは頭を丸めてこのチームのために一生懸命がんばりますと言いながらすこし活躍すると自分我を出し始め給料が安いだの、評価が低いだの、挙げ句の果てはもっと近鉄は選手に優しかったなどなど・・・。拾っていただいた中日で終わると思って居たら、FAして楽天へ、楽天ではやりたい放題自分の打席には気が散るから盗塁するななど監督を差し置いて後輩選手へパワハラする始末で再び首、さすがにどこも受け入れ先は無くて居たところ、横浜を買収したDNAがあまりの成績の悪さに実績のある中村をと獲得して今日に至っていますが、やはり同じ事の繰り返し・・・。自分がどれだけ周囲の人に助けられてここまで来たかすぐに忘れ、今の自分があるのは自分の才能と自分の努力と・・・自分自分自分・・・・。

 奇しくも同じ中村という名前を持つ男がノーベル賞を取ってしまいました・・・。また威張るんだろうなぁ・・。今やノーベル賞受賞物理学者ですから・・・。人は獲得した賞がどれだけすばらしい物であってもその人の人となり、人格まですばらしいとは言えない物です。何の賞や勲章をもらったことが無い普通の人の中に人としてすばらしい人格者が多数存在すると僕は思います。

 中村氏の青色発光ダイオード開発成功物語は彼の言葉から発せられる事だけを聞いているとまるで会社はなんのサポートもしないでただただ彼だけが自分の才能と努力で青色発光ダイオードを作り上げた様に聞こえますが、周囲の方々の証言を詳しく聞いてみると彼が勤務していた日亜化学では彼の会社員としては奇行とも言える行動を受け入れ彼が研究に没頭できる環境を提供していた様子が伝わって来ます。会社員でありながら電話には出ない、会議にも出ない、そんな彼にたいして日亜化学の度量の広い創業社長、小川信雄氏の支援があったればこそ今日のノーベル賞につながったのでは無いか・・・。 

 小川社長は中村氏の要求で地方の中小企業としては異例の3億円の研究開発費を投じ、中村氏をアメリカに留学にまで出しています。そのお金の1円1円が工場でこつこつと働いて蛍光灯を製造してきた従業員の方々の働いた糧から捻出しているといったい彼は思った事があるというのだろうか・・・?中村氏は自分が必要とする研究機材を買うための十分な研究開発費を会社は用意してくれなかった、非協力的だったと思って居る節があります。彼には不十分だった3億円ですが日亜化学には大変な金額だった事は関係ないという感じでした。

 彼が毎日研究に没頭していた時はなんの利益も生んでいません。その期間に彼と彼の家族が生活できる給料を支払い続けてくれた会社は非協力的ですか?彼がもっと知識を得られる様に留学させてくれた会社は非協力的ですか?そのどれか一つ欠けてもかれは研究を続けられなかった・・・。そして自分の開発したLED技術に対して十分な対価が支払われていない?ふざけんな!!!!!!!!!!!!中村紀洋とおんなじ・・・。

 外国がどうだこうだは関係ない。自分が会社組織に準拠して研究しているのは会社の利益のため、会社に勤める全ての従業員のために行っている行為で価値のある成果を出したから対価を支払えというのはお門違いと僕は思います。そして僕らデザイナーも会社に属してデザインをしている時はどんなにヒット商品を生み出して会社に貢献してもそれは当たり前のことで取り立てて対価を払えという事になりません・・・・。むしろ、会社のためになって良かったという気持ちで十分だと僕の場合は思います・・・。

 はっきり言います。中村修二がノーベル賞を取ろうがどうしようが、僕はああいう金でしか価値判断できない男は大嫌いです!!!

2014年10月4日「気がつけば10月・・・。」

 忙しさにかまけてしばらく書き込みをして居ませんでした。定期的に読んで頂いて方もいるので申し訳なく思います。日々が過ぎゆく中で大変な事件や事故、災害などが発生しています。広島で集中豪雨により沢山の方が家を失い、家族を失ってお気の毒で言葉もありません・・・。神戸では幼い少女が殺害され体をバラバラにされ事もあろうにゴミ袋にいれて遺棄された事件がありました。どうしてこんな事件が起こるのだろう・・・。絶対に許せない!そして御嶽山の爆発・・・。47名の方が亡くなり未だ不明のかたが多く居るということです。本当に神様がいるならどうしてこんな事を起こすのか・・・?もし、噴火が夜間だったら被害はもっと少なかったでしょう。どうして一番登山客が頂上に到達する時間帯に噴火が起こったか?携帯電話親のところに噴石の直撃を受けて薄れ行く意識の中で母親に携帯電話をかけて最後の言葉を残した人も居るそうです。新婚のご夫婦や、小学生の女の子まで犠牲になったと聞きます。まさか秋の紅葉を見に出かけて帰らぬ人となるとは夢にも思っていなかったでしょう・・。本当にご家族の悲しみをお察しいたします・・・。

 日々、まじめに誠実に暮らしていてもこのような災難や災害に見舞われて人生が変わってしまう事は決して他人事ではありませんね。僕も振り返れば29歳の時に母が突然脳出血で倒れてその時から人生が変わりました・・・。何でも器用にこなす母、料理が上手で洋裁をアルバイトにして衣料品店からオーダーメードでお客様の洋服を作る仕事を受けてやっていました。明るく頼もしい母が一瞬にして右半身の自由を失い、言葉を失いました。当然、息子の僕の人生もその時点で変わってしまいました。本当に人生は何が起こるかわかりませんね・・・。

 今年のプロ野球、ジャイアンツでエースとして大活躍した菅野投手、最多勝を狙った一昨日の試合で体の不調を訴え途中降板しました。そして精密検査の結果、右肘靱帯の部分断裂と判明して今年はもう登板が無理という報道がありました・・・・。原の甥として東海大学で活躍してドラフト会議の時に正式なルールに従って指名権を獲得した我が北海道ファイターズをまるで礼儀知らずの無法者扱いして無視し、祖父の原の親父に至っては事前に挨拶が無い無礼ななどと言い捨てる始末・・・。どこまで原一族は野球を私物化して居るのだろうと僕は腹立たしく見ていました。王選手や長島選手のように日本プロ野球の輝ける星であった訳でもなく、高校、大学とたまたま自分の息子が選手として注目されたからついでに監督に納まり何度か優勝したくらいで日本プロ野球を私物化できると思って居る思い上がりには腹が立ってなりません。菅野は恥ずかしながら系列大学の後輩という事になります。先輩として言うなら、スポーツマンならルールを守りなさい。そしてルールに従って入団した球団にも命がけでプレーする選手と其れを応援するファンが居る。巨人だけでプロ野球がなりたっている訳では無い事を知ってほしいと僕は思っていました。しかし、巨人以外のチームにどんな態度を取ろうと菅野投手が才能あふれる選手で巨人に入団してから活躍をしてエースの座を獲得するのは時間の問題だろうとも正直思って居ました。入団1年目からやはり活躍して2年目の今年もチームの勝ち頭でセリーグの最多勝も獲得できる勢いでした・・・。しかし、重大な故障に見舞われました・・。

 肘の靱帯部分断裂はそんなに軽い故障ではありません。今は手術してまた活躍出来る投手も居ますが、僕はヤクルトの伊藤智仁投手がヤクルトに入団して活躍した「全盛期3ヶ月」をこの目で見てきました。当時既に先発、押さえの概念はありましたが投球数を考慮して交代させるなどの考えが無かった時代で過酷な投球を強いられていました。新人で目の覚めるような投球をして並み居る強打者を討ち取る姿にほれぼれして見ていました・・・。しかし、過酷な投球がたたり3ヶ月で肘を壊しそれからは思うような活躍はできませんでした。キャッチャーの古田敦也選手が当時を振り返り、もう少し大事に使っていればもっと長い野球人生を全うできたかもしれないと思うと申し訳なく思います。と語って居ました。菅野投手も、もしかしたらこれから肘痛と戦いながらプロ野球選手を続ける事になるやもしれません・・・。どんなに最初の1〜2年活躍してもその後活躍出来なければファンもチーム良い目で見てはくれません・・。成績次第では戦力外ー引退という事もあり得ます。ただ彼の場合は原一族の血統であること、巨人愛を貫いて1年浪人して入団した経緯もあるのでコーチとして残る可能性が大きいでしょう・・・。毎年二桁勝利して巨人のエースになり莫大な報酬を手に入れる人生の計画が狂ってしまったかもしれませんね・・・。今はヤンキーズの田中投手がプロ入りするとき12球団どのチームでも指名して頂ければ喜んで入団する、あえて意中の球団などは言わずパリーグの最下位チーム楽天の指名も爽やかに受けて数年後優勝まで導いた姿の潔さに比べれば、菅野投手の巨人入団の際の失礼な物言いなど今日につながっている様に思えてなりません・・・。神はちゃんと見ている。そんな気がします。

 プロ野球の話で恐縮ですが、セリーグの巨人、パリーグのソフトバンク奇しくも金で他チームの中心選手をかっさらってきて戦力アップしたチームが優勝しました。僕はCSで広島とオリックスが勝ち上がって日本シリーズを戦ってほしいと切に思います。ファイターズ?いやぁ、今年のファイターズはCSで勝つ資格はありません。これほどファンを裏切ってきてCSで勝ち上がるなんてそれほど甘い世界ではないと思います。ずっと他チームにフリーエージェントで中心選手を取られ続けてきた広島、なぜか負け続けて最下位争いが定番だったオリックス、僕はこの両チームが日本シリーズを戦ってたら素敵だと思います。

2014年9月20日「建て食う虫も・・・。」

 朝日新聞がとうとう慰安婦ねつ造記事を嘘と認め、東電の原発事故に関する吉田調書への謝った記事への謝罪など多くの日本人が大新聞、朝日新聞へのこれまでの世論を操作しようとする行為に対して怒りをぶつけ始めた事を「言いたいことが言えない社会は危険」と朝日新聞バッシングを表現する輩が居ることに唖然としてしましました。

 まぁ、建て食う虫も好きづきとは言いますが「言いたいことが言えない社会」と一連の朝日新聞の報道に対するバッシングは質の違う物で有り違う物を同じ物差しで測ろうとしてしている行為に思えてなりません。「言いたいことが言えない」というなら朝日新聞がねつ造した慰安婦問題のお陰で慰安婦問題に対する反論さえ言わせない環境を作った事自体が「言いたいことを言えない」環境ではないのだろうか?いろいろな意見が存在するのは良い、でも、自分の意見を正当化するためにねつ造記事を世にばらまいて世論操作をする行為は許されるべき物ではないしその姿勢が改められない以上、制裁を受ける事は必要な事だと僕は思います。

 多くのジャーナリストが実際に済州島へ行き聞き取り調査を行い女性を強制的に取れ去った事実が一件もなかった事実を声だかに主張してもそれらの声をマスメディアの力でかき消してきたのが朝日新聞やNHKであったと僕は記憶しています。今はネットという情報媒体が発達した結果これまで黙殺されてきた事実を伝える情報が容易に入手する事ができるようになりました。もちろん真偽が疑わしい情報もあるので慎重に判断しなければなりませんが信頼できる人物の発信する情報は重要な物です。

 「言いたいことが言えない世の中は危険だ」もちろん僕もそう思います。しかし、これまで朝日新聞が行って来た報道は戦争中は大本営発表の嘘の情報を堂々と流し保身に終始し、戦争が終わると日本を批判することで其れまでの報道姿勢を責任転嫁させてきた新聞社です。

 朝日新聞が世界に流した慰安婦報道のお陰で韓国は外交のカードを手に入れたとばかりにことあるごとに韓国内の政治批判のスケープゴートに使い、何の関係もないアメリカに慰安婦像などを造り、フランスの漫画際で日本が韓国の女性を拉致して性奴隷にしたという漫画を作りフランス国民に見せ、有りもしない話を世界にばらまいて日本人が世界から非難されている事実を朝日新聞はどう考えているのだろう?

 朝日新聞の問題と「言いたいことが言えない世のなか」という問題は次元が違います。はっきりとその点は申し上げたい・・・・。

2014年9月10日「時の流れ・・・」

 BS-TBSで昭和の時代に活躍した芸能人と薬丸裕英とアシスタントの女性が一緒に東京のゆかりの場所を散歩しながら当時の話などを聞く番組があります。偶然録画されていて続けて録画して見る様になりましたが今回はザ・タイガースの瞳みのるさんが出演していました。タイガース当時に行った場所、ブロマイドの丸ベル堂とか浅草のレコード店とか、そして行きつけの店に行って語った話がとても印象的でした。僕は彼らよりも10歳以上若いので彼らの全盛期は子供過ぎてあまり分かりませんでしたし、グループサウンズはどちらかというと今で言うアイドルのようなもので女性ファンのものと思っていました。ただ、姉がちょうどファンの年齢でタイガースのレコードは何枚もありました。グループサウンズでやはり一番売れていたのはタイガースだったと思います。他にはショーケンのテンプターズ、マチャアキと井上順のスパイダース、ブルーシャトーのブルーコメッツ、湘南サウンドのワイルドワンズぐらいでしょうか、僕が記憶して居るのは・・・。当時、グループサウンズと同世代の方々はもっと記憶しているのだと思います。タイガースは日曜日の夜の「シャボン玉ホリデー」にも出ていてナベプロの所属だったんですね。

 瞳みのるさんの話では解散が決まった時に彼だけ何も知らされていなかったのだそうです。それで解散後のこともある程度決まって居て瞳さんだけが蚊帳の外で沢田研二さんの事は殴ってやろうと思ったそうです。そして解散のファイナルコンサートで会場に家財道具全て2トントラックに積んで行って解散コンサートが終わったらその脚で京都に帰るつもりで望んだそうです。コンサートが終わり楽屋で「もう二度とお前たちとは会う事は無い。」と言い捨ててコンサート会場を後にして故郷の京都に帰ったのだそうです。沢田研二さんと岸部一徳さんは僕のおぼろげな記憶ではショーケンとダブルボーカルのバンドを作りしばらく活動した様に思います。グループサウンズの人気が無くなり最後の手段でスターのジュリーとショーケンを合わせれば売れるだろうと安易なプロダクションの作戦のように感じました。でも、個性の強いジュリーとショーケンですからねぇ〜、ぶつからない訳が無い。すぐに解散したと記憶してます。

 瞳みのるさんはその後、柴田錬三郎さんの助言などをいただき大学に行って勉強しようと決めたのだそうです。柴田錬三郎さんの母校で中国文学を学ぼうと決めて猛勉強して見事合格し卒業時に慶応高校に講師の求人があると勧められ何年かだけのつもりで引き受けて定年まで勤め上げたのだそうです・・・。

 タイガースのメンバーとは二度と会わないつもりでいたのだそうですが、メンバーが再結成してコンサートで瞳実るへのメッセージソングを歌っているのを聞き、周囲の人から「これだけ腹を割って話して語りかけて居るのだから会うだけ会っても良いのでは無いか?」という言葉をもらいわだかまりの残るなか連絡を取ってあったのだそうです。場所は昔からなじみの店で最初はたわいも無い話からはじまりだんだんうち解けて最後には会わなかった40年の歳月がすっ飛んで十代の頃の仲間に帰っていた。本当にそれは不思議だった。と語っていました。僕もこの気持ちはわかります。数年前中学の同窓会があり38年ぶりにあった友人たちと一瞬で15歳の僕らに戻れた経験をしました。

 ザ・タイガースは加橋かつみさんも戻ってオリジナルメンバーが揃いコンサートをやっている様です。あれだけブームになったグループサウンズでしたがワイルドワンズは加山雄三さんとコンサートをやったり活動して居る様ですがほかのバンドはあまり聞きません。お金を生む商品として一番血気盛んな時に忙しい忙しいでなぜ自分たちはバンドを始めたのか?見失って不協和音が生まればらばらになっていった音楽小僧たちが時を隔ててバンドをはじめた時の気持ちに立ち返り活動を再開している姿は僕は悪くないと思います。それも若い日に寝食を共にした仲間だからでしょう。そういう仲間がいる事はすばらしい人生ですね・・・・。

 僕はミュージシャンではありませんし到達点が遙か彼方で56歳になった今でも目標に向かって上り続ける日々です。年を取って振り返る事など無いように思います。でも、最近すこし仕事がやりやすくなってきた感じがします・・・。

2014年8月30日「気になること・・」

 TVのグルメ番組など良く「和牛A5ランク」などという言葉が出てきます。そして出演している芸能人がおいしさに悶絶する光景などがTVを伝ってきます。ずっと気になって居ることがあります。人間は「他の命」を頂いて自らの命を支えている「他の命」への感謝の気持ちなど皆無で単なる「高級食材」としか見ていない事に心が痛みます・・。

 TVの世界ではいつの頃からか「大食い」を競う番組が定期的に放送され信じられない量の料理を短時間で大量に食べる様子を唯々放送してそれなりの視聴率を得ている様ですがそこには食物への感謝の気持ちも無ければ、生産者への感謝、生産地から消費地まで届けてくれる方々への感謝、そしてそれらを美味しく料理してくださる料理人への感謝など皆無でいつから日本はこんなに高慢な民族になりはててしまったのでしょう・・・。

 昔、アメリカ人の牧師の方に英会話を習っていた事があります。その方はご夫婦で旭川に住んでいらして奥様は旭川で初めての英語補助教員として英語教育に携わり、奥様が定年退職を迎えた時に故郷のアメリカに帰る事を決めて旭川を後にしました。その後、その先生の代わりに旭川に派遣された牧師さんの代わりに短期で旭川にご夫婦で来られた事がありました。僕は昼食をお誘いして奥様と先生と3人で初めて昼食をともにしました。美味しいと評判の事務所の近くのレストランにご案内して、料理が運ばれてきて、さぁ、食べようかというときにお二人は手を合わせてお祈りを始めました「今日、このとき旧友と共に昼食をいただけるとを感謝します。アーメン」とごく自然にお祈りする姿はクリスチャンであろうと無かろうと大切な事だと感じました。

 日本人は「いただきます。」の言葉の中に全ての感謝の気持ちが集約されて居ますが今の日本でどれだけ本当に感謝の気持ちをもって居るかは怪しいところです・・・。

 「大食い」を競う番組や「人気順位を当てるまでそのレストランのメニューを食べ続ける」番組に一体どんな意味があるというのだろうか、もちろん、その食材を食べなかったからといって飢えた地域の人たちにその食材を届ける事ができる訳でもありません。しかし、少なくとも僕が子供の頃は親から食べるものを粗末にしてはいけません。と言われてきました。自分たちがいただいている牛肉も豚肉の鶏肉もそして魚たちも全て命をいただいている事、命をくれた生き物たちに失礼の無いように残してはいけない。というふうにしつけられてきました・・・。

 食品を粗末にしてはいけない、遊ぶ道具にしてはいけない、命をいただいている事を忘れずに感謝しなければならない。そういう事を若い日本人にきちんと伝えて行かなければならない。そう思うのは僕だけでしょうか・・・。

2014年8月21日「もう、うんざり・・・」

 今年も8月15日近辺ではTVでは戦争のドキュメンタリーや映画、ドラマを特番で一番良い時間帯に流していました。僕も若かりし頃はそういう反戦もののドキュメンタリーなんか見ては涙を流し、戦争を起こした当時の社会状況などに憤慨したものでした。昭和33生まれの僕にはちょうどTV放送が民放でも始まりTVから入る情報を無条件で受け入れていました・・・・・。物心ついてからずっと終戦記念日には同じ内容の物を焼き直して何度も何度も見せられてきて、もううんざりです。クリントイーストウッド監督、渡辺謙主演で話題になった「硫黄島からの手紙」もすぐにチャンネルを変えました・・・・。

 戦争はやってはいけない事に決まって居ます。残念ながら69年前日本が戦争に突き進んでいった事に反省をして二度と戦争をしない様にしなければならない・・・。と毎年聞かされてきて69年前の価値観を現代の価値観と無理矢理リンクさせるのはもうやめたらいかがですか?欧米列強が教育費を無料にし、病院の費用を無料にし、老後も十分な年金を国から支給される、夜な夜なパーティをひらいて実業家の男性はタキシードを着、女性はイブニングドレスの華やかさを競い豊かさを享受する「先進国」であるためにアフリカやアジアに競って植民地をもち、一切植民地から搾取した利益を植民地のインフラ整備や社会保障、教育などに使わず無知が故に欧米先進国の植民地に甘んじて居なければならなった時代、そういう時代にアジアで唯一植民地化を阻み、独立国として国を守ってきた日本が言葉ではアジアの国々の植民地から解放を叫んだり、中国へ侵略して行った事実は当時の思想としてやもおえなかったのではなかろうか・・・。山本五十六が立案した真珠湾攻撃、宣戦布告前の卑怯な奇襲攻撃だったにもかかわらず、当時の日本国民にはアメリカに大打撃を与えた戦果だけを伝え、日本中が勝利に打ち震えそこかしこで「万歳」の声が上がったそうです。そして完全に日本はアメリカに勝てると勘違いしてしまった・・・・。戦争を日本がはじめてしまった原因は複雑な理由が絡み合って起こしてしまったことでありTVの特番で語り尽くせるような単純な物ではないのです・・・・。

 前にも書きましたが、戦前の日本は婦人に参政権は無く、男性にもある一定以上の税金を支払っている言わば富裕層の男性しか参政権はありませんでした。農地は地主が持ち、小作人が地主に搾取されても其れが当たり前の時代でした。当時の日本は、いや世界はそういう時代だったのです。それを、唯々反戦を唱える人たちは同じ間違いを繰り返してはいけない!と叫ぶばかり・・・。同じ間違いなんて絶対起こらない、むしろ、日本に対して自国の政治に対する国民の批判をかわすスケープゴートとして日本への敵対思想を利用している危険な国がお金を持って肥大しまった事が一番戦争へと突き進む不安要素です。日本は冷静にそういう危険な国とどう対峙して行くべきか?考える事が本当は一番大切な事ではないでしょうか?「仲良く友好関係を結べは良い。」と寝言いう左巻きの阿呆ども・・・。食品加工を見ればわかるでしょう?見ていなければ腐った肉でも混ぜて出荷してしまう。そして自分は絶対食べないから大丈夫などと平気で言う国民性です。中国に何度か行けばどれだけ日本と価値観が違うかわかると思います。民主党の泣き虫海江田だこの期に及んで「尖閣諸島の問題は未来のにとたちの任せて今は問題を先送りにする。」と寝言いっているしまつ・・・。本当に中国は危険な国です。そして中国、韓国への毅然とした対応が戦争から日本を守る一番大切な事だと僕は思います。

 もう、先の戦争の事をTVで必要以上に特番を組むのはやめませんか?うんざりです・・・。

2014年8月16日「詐欺からでた巨匠・・・」

 ロバート・キャパ、戦場カメラマンの最高峰の巨匠として言い伝えられ、多くの後進カメラマンに崇拝されている人間です・・・・・。

 昨年、NHKスペシャルで作家の沢木耕太郎氏がロバート:キャパの出世作である「崩れ落ちる兵士」が本当に彼の作品なのかどうか検証したドキュメントを放送していました。丹念に事実をたどり冷静に主観を排除して客観的に検証していた内容に一種の驚きを覚えました。その内容から「崩れ落ちる兵士」はロバート:キャパの作品では無く、一緒に撮影していた恋人のゲルダ:タローが撮影したものと判明しました。さらにその撮影された兵士は戦場で頭を打たれて崩れ落ちたのではなく、演習場で足を滑られて転ぶ様子を撮影された物だという事がわかりました。その事実を伏せてキャパとゲルダはLIFE社へ写真を送り表紙に使用され一躍、戦場カメラマンとして知名度があがったのだそうです。このLIFE社への投稿は写真が売れずに経済的に困窮していた二人が「ロバート:キャパ」という架空のキャメラマンの名前を用いてLIFE社へ投稿した結果、本名フリードマン・エンドレ・エルネーは戦場カメラマン、ロバート:キャパとなったのです。あろう事か、LIFEの表紙に「崩れ落ちる兵士」が掲載されたときに既にゲルダ:タローはスペイン内戦の従軍中に事故で亡くなり希代の詐欺師「ロバート・キャパ」はゲルダが撮影したほとんどの写真を自分の物として発表して地位を築いていったのです。ここで最も僕がくだらないと思うのは報道写真評論家たちです。「崩れ落ちる兵士」を20世紀最高の戦場写真と言ったり、戦場で頭部に被弾してまさに命が消えゆく様を撮影して発表する事への倫理観からの激論など交わした事が全てお笑い草・・・。戦争ごっこで足滑らせてすっころんだ瞬間を撮影しただけ、それもロバートキャパではなく恋人のゲルダの作品だった・・・。恥ずかしくないのだろうか?そして、その後ロバートキャパが不動の地位を確立させた1944年にノルマンディー上陸作戦に従軍して撮ったとされる「ちょっとピンぼけ」・・・。評論家は「キャパほどの戦場カメラマンでさえ恐怖で手が震え、それでも撮影した様子がひしひしと伝わってくる・・・。」だと 何のことはない怖くて手が震えただけ、「戦争ごっこ」の写真で一躍有名になり実力もない、間違われて戦場カメラマンとして有名になってしまって戦場に行かないわけには行かず、内心恐怖のどん底にあるのを悟られないように従軍して撮った写真がピンぼけするのは当たり前のはなしです。

 ロバート:キャパは今でも報道写真家として尊敬され巨匠として言い伝えられています。

 おいおい、ちょっとデザインの世界にもいやしませんか〜〜。深澤直人、恥を知れ。ミニマルだけハナマルだか知らねーが表現力の無い人間がそれを隠すために用いる方法に「ミニマル」などがあります。本当の表現力がある人のミニマルはそれはすがすがしく感動を覚えますが、キャパのように間違って評価を得た人間の「ミニマル」は気持ちの悪い隙だらけの造形な事が多いです。深澤は基本はプロダクトデザイナーですが、彼は本来家具をデザインする事に必要な人間工学的な経験則を持たない。「ちょっと頼まれたから家具でもデザインしてみっぺ」的な僕のようなプロから見ると耐えがたい見た目だけの飾り物でしかない。僕が追求する家具への「用の美」は人間工学的な経験則、木工技術の使いどころを考慮した設計であり「形が良ければ良い。」もっと言えば「売名できればいい。」的な深澤の仕事とは一線を画します。

 深澤が出てきた頃、HHstyle.comで発表したマッサージチェアーのシンプルさ、±0から発表した丸い形の加湿器など見るべき物はありました。それらが言わば「崩れ落ちる兵士」でありその後はろくな物を出して居ないにも関わらず、どんどん巨匠に祭り上げられてしまった。結果、新しい造形を生み出せずパクリに走った・・・。

 ロバートキャパと深澤直人、同じ穴の狢・・・。ロバートキャパは神から戦場で死ぬという裁きを受けましたが、日本のデザイン評論やクライアントは売れ無くても売れ無くてもやけどを負うまで仕事を発注し続ける癖があり、しばらくは巨匠づらを見なければならないでしょう・・・。あぁ、気持ち悪〜。NHKのデザイン報道は罪ですね。深澤直人、奥山清行、佐藤オオキ・・・NHKで放送されて名前が売れた、過大評価され、みんなロバートキャパと同類です。

 少なくとも僕は違う。たとえマスコミに取り上げられなくても23年独立してやってきました。そして、きちんとデザインした物をお客様に買っていただいて売れたロイヤリティで生活しています。僕がデザインした商品を作り続けてくださるメーカーさんも売れるから継続して生産していただけます。話題作りやマスコミ受け狙いの詐欺をしていたらすぐに消えていたでしょう・・・。僕が死んだ後、前出の詐欺師の名前が残るか?僕の名前が残るか?自信はあります・・・。

 

2014年8月2日「黙っていようと思いましたが・・・」

 左側の赤い張りの椅子は1952年にデンマークの女性デザイナーナンナ:ディッェルさんがデザインしたリビングチェアーです。ナンナ:ディッェルさんは女性家具デザイナーとして最も成功した人です。旭川の第一回国際家具デザインコンペが1990年に開催されましたがその際に入賞されて旭川へいらっしゃって当時旭川のインテリアセンターに勤務していた僕はコンペに合わせて旭川家具組合がいろいろ行事を行っていたり、会社自体が行事を行っていていろいろお手伝いをしましたがインテリアセンターが独自に開催したウエルカムパーティにナンナさんもいらして特に会話を交わした訳ではありませんがやはり世界的に成功を収めているデザイナーだけあって芯の強さを感じました。

 僕が家具デザイナーを目指すきっかけになったのは北欧の美しい家具を見たのがきっかけですからナンナさんの作品もいろいろ知っていました。幸いな事に旭川の家具組合で織田先生の名作椅子コレクションの収蔵をお手伝いしている関係で名作を椅子を見る機会があり、この椅子も実物を見る機会があり良く知っていました。とても綺麗な椅子だと思って居ました。

 右の青い布が張られている椅子は今年のミラノサローネでマルニから発表された椅子です。ナンナさんのオリジナルに比べ明らかにプロポーションや木部のディテールが美しくない改悪商品?と思ったら深澤直人氏のデザインということでナンナさんの椅子には一切触れずにマスコミに華々しく取り扱われています・・・・。

 深澤直人といえば現在日本のプロダクトデザイン界のスターでグッドデザインの審査員長をしたり旭川のコンペの審査委員をしたり向かうところ敵なしといったところですが・・・・。なんだこりゃ?63年も前にデザインされた椅子だからもう意匠権が存在しない?だれもしらないだろう?なんて思って居るのか?それともリ・デザインなんていうのだろうか・・・?こういうのを盗作というんだ馬鹿野郎!深澤直人氏が無印や±0のデザインで注目を浴びて華々しく日本のデザイン界に登場してきたとき、僕もすばらしい才能のデザイナーが現れてきたと思いました。しかし、注目を浴びるほどにデザインソースが枯渇してゆき、同じ物の焼き直しが目立ち始め、家具の分野に進出してきた物を見てがっかりしました。人間工学の経験則も無く、木工技術にも無知で表層的なスタイリングを過去のデザイナーの作品からぱくって自分流にアレンジして満足している・・・・。深澤直人もたいした事ないなぁというのが僕の結論でした。そして今年になってナンナ:ディッェルの作品の盗作を堂々と悪びれもせず発表する姿にもうどうでもいいやという感じです。日本のデザインマスコミはだれもこの盗作を非難しない・・・。むしろ深澤直人の作品だからともてはやして写真をメディアに流すしまつ・・・。僕はデザインの本質では無く誰がデザインしたかで価値を決めてしまう姿勢はいけないと思います。これは「ねんど」への評価も同じです。僕はこんな日本のデザインマスコミやデザイン関係者を軽蔑します・・・。

 僕は深澤さんや佐藤オオキのように認められていませんが「用の美」を一貫して追及して派手さはなくても時代を超えて使い続けていただける事を自分の勲章としてデザインと取り組んでいます。本質を評価しない日本のデザインマスコミやデザイン関係者に評価などされなくても一般の方々に買っていただいて長年使っていただける事が僕の勲章だと思って居ます・・・。

 それにしてもひどいね、深澤直人・・・。軽蔑します。

 

 

 
     
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